野口健司 切腹の間
旧前川邸の綾小路通に面した出格子窓の部屋。山南明里の窓越しの別れのエピソードから山南自刃の間と勘違いされることもあるが、ここは芹沢派最後の一人、野口健司の自刃の間だ。今なお薄暗い四畳半は邸内で一番雰囲気のある部屋かもしれない。
野口健司は神道無念流目録保持者で副長助勤。天保14(1843)年水戸生まれの21歳。
文久3(1863)年9月に芹沢派が粛正されてからも隊務を続けていたが、この年の暮れに切腹させられた。理由は近江国の中羽田村の村騒動の責任を取らされたとも言われるが、真相は不明。
12月27日、芹沢派最後のひとり野口健司はこの部屋で自刃し、若い命を散らした。野口は介錯を務めた安藤早太郎らと共に、壬生寺の合同墓に眠っている。