前川家は中祖に越前の国主・朝倉左衛門督義景を持ち、天正元(1573)年、織田信長によって落城の折、近江国に逃れ、のち姓を前川と改める。その後、宝暦4(1754)年、京に移り住み、掛屋、糸割符仲間等の商いで成功を収め、天保時代に当主前川荘左衛門義陳の子が壬生の八木重次郎家を相続し、次の代に姓を八木から前川に改め、壬生の前川家となった。(「由緒并親戚書」による)
拷問の行われた蔵、山南敬助、野口健司が切腹した部屋、長屋門、納戸の抜け穴、雨戸の落書き等、旧前川邸に残る新選組関係の史跡をご紹介します。
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