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前川邸との縁
前川邸とは
文久3(1863)年から2年間、新選組の屯所となった建物。
前川家は中祖に越前の国主・朝倉左衛門督義景を持ち、天正元(1573)年、織田信長によって落城の折、近江国に逃れ、のち姓を前川と改める。
その後、宝暦4(1754)年、京に移り住み、掛屋、糸割符仲間等の商いで成功を収め、天保時代に当主前川荘左衛門義陳の子が壬生の八木重次郎家を相続し、次の代に姓を八木から前川に改め、壬生の前川家となった。(「由緒并親戚書」による)

当時、前川本家(京都六角)は、掛屋として御所や所司代の公金の出納、奉行所の資金運用の仕事など、色々な公職を兼ねていたため、奉行所や所司代との密接なつながりがあった。

上洛する浪士組(後の新選組)の宿舎を選定するにあたり、市中情勢にも詳しく、役人の信頼も厚かったことから、前川本家が、その仕事を任された。前川本家では、壬生の地が京の町はずれにありながら、二条城に近いという点で、地理的条件にも合ったことから、自分の身内である前川荘司の屋敷を提供。浪士組は前川邸を中心に八木邸、南部邸(現存していない)、新徳禅寺に分宿した。これが新選組の出発点となった。

旧前川邸外観
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